レオナ-ル FOUJITA

Publié le par workshop45

シャンパンの街ランスに行く。

日本からの客人こーちゃんとのぶちゃんと三人。時々雨が降る。

日本人画家藤田嗣治の展覧会を見に行く為だ。

藤田 嗣治(ふじた つぐはる、Leonard FoujitaまたはFujita1886年11月27日 – 1968年1月29日)は東京都出身の画家彫刻家。現在においても、フランスにおいて最も有名な日本人画家である。を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びた。エコール・ド・パリ(パリ派)の代表的な画家である。

我々のフジタ計画はまだまだ先だが必ずその日が来るまで忘れずに。

地元の列車シャンパン号

m6-copie-1.jpg

 

ノートル=ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂(フジタ礼拝堂)

m7.jpg

フジタの猫

m9.jpg

1913年大正2年)に渡仏しパリのモンパルナスに居を構えた。当時のモンパルナス界隈は町外れの新興地にすぎず、家賃の安さで芸術家、特に画家が多く住んでおり、藤田は隣の部屋に住んでいて後に「親友」とよんだアメデオ・モディリアーニシャイム・スーティンらと知り合う。また彼らを通じて、後のエコール・ド・パリジュール・パスキンパブロ・ピカソオシップ・ザッキンアンリ・ルソーモイズ・キスリングらと交友を結びだす。また、同じようにパリに来ていた川島理一郎や、島崎藤村薩摩治郎八 金子光晴ら日本人とも出会っている。このうち、フランス社交界で「東洋の貴公子」ともてはやされた薩摩治郎八との交流は藤田の経済的支えともなった。

パリでは既にキュビズムシュールレアリズム素朴派など、新しい20世紀の絵画が登場しており、日本で黒田清輝流の印象派の絵こそが洋画だと教えられてきた藤田は大きな衝撃を受ける。この絵画の自由さ、奔放さに魅せられ今までの作風を全て放棄することを決意した。

家に帰って先ず黒田清輝先生ご指定の絵の具箱を叩き付けました

と藤田は自身の著書で語っている。

黒田清輝

Kuroda_Seiki.jpg

 

教会に包まれる二人。

m8.jpg

最後はシャンパンで乾杯。もうのみすぎさかさま。

m10.jpg

 

Commenter cet article